こんにちは。相談件数4万件、
「幸せな恋愛・結婚サポートカウンセラー」、
谷地森久美子です。
さて今回は
「夫婦や家族に関する一方的な思い込み」
の第二弾です。
毎日、
家族のために頑張っているあなたへ。
その思いは、
ちゃんと相手に届いているでしょうか。
本編は、カップルのどちらかが
独りよがりな思い込みで
頑張ってしまっている時の、
ふたりの寄り合い方を考えていきます。
さて、はじめていきましょう。
****************
日々、自分のことは脇において、
子どものため、家族の生活を支えるために、
生きているあなたへ。
そういう姿を示しているのだから言葉にしなくても、
パートナーはわかってくれるはずだ、と思っていませんか。
これは日本独特の、カップルや結婚に関する
「非合理的な思い込み」のひとつ。
先日も行きつけの美容室で、店長さんから
同じようなセリフを耳にし、そのため、
「仕事に励んでいるのもすべては家族のためなのだと、
奥さまにちゃんと伝えていますか」とお尋ねしました。
すると、
「別に、あえて伝えていないなぁ」という返事。
だったら、伝わりませんよね。
すると透かさず、
「でも、わかってほしいんですよね。
それくらい、夫婦なんだから」。
私のほうもひかず、しつこく
「でも、伝えていないんだから、わかりませんよね!」。
私も、鬼です。^_^
――つまり、上のような思い込みだと、
自分の意図にそって、相手が応じてくれない場合、
「相手が悪い」となり、
言いたいことを伝えていないのに、
「なんだよ、全く!」と、パートナーに
勝手にスネる悪循環に陥っていきます。
この「ひとりで勝手にスネる傾向や悪循環」は、
男性に限らず、女性にもあります。
そして、互いに
「相手が察するべきで、自分は動こうとしない」態度は
言葉が使えず、ただただ泣き続ける赤ちゃんと同じです!
このような悪循環にハマったカップル・夫婦は、
どうやって、関係を回復していけるでしょうか。
今回は、ポイントを2つご紹介しますね。
① 自分が、実家の文化の、どんな側面に
影響、洗脳されているか、
パートナーの態度から振り返ってみる:
子どもの頃から長い年月、
空気のように親しんだ実家の文化。
それが相手には通じないと言うことに
気づくことは、とても難しい。
そして、気づいても、本当の意味で
それまでの文化から、抜け出すのも難しいもの。
先にあげた、
「家族のために頑張っている事自体、
言わなくてもわかるはず/わかって当然」も、
主張している本人にしか通じない、
一方的な思い込みであり、文化です。
このような思い込みを持っている方の半数は、
子どもの頃、言わなくても察することを
強要する空気・文化が、家庭の中に色濃くあり、
親の気持ちや暗黙の期待を、子どもなりに察して、
その通り、動くことを強いられる歴史が
あったはずです。
しかし――!
今、生活している相手は、実家の親ではなく
「パートナー」なのです。
パートナーにちゃんと届くように、
愛をこめて伝えていかない限り、
相手の理解は得られません。
あなたが、自分だけの思い込み(文化)に
気づく、ひとつの鍵は、
「身近なパートナーの、あなたへの反応・態度」です!
パートナーが、あなたにむけて
あたたかで、穏やかな反応を返してくれれば、
あなたの頑張りは、
家族のためになっているかもしれません。
しかし、もし、そうでなければ、
あなたは目を覚ます必要があるのです。
パートナーのフィードバックこそが
現実を語ってくれます。
それを活かさない限り、あなたは、ずっと
実家文化に取り込まれた、
「大人という、着ぐるみを着た子ども」のままです。
② 「違い」をふたりで抱え続ける:
自分に馴染んだ文化こそが、正しい/常識なのだと、
意地の張り合いを続けても、ふたりの幸せには繋がりません。
ふたりのあいだに、勝負事は馴染みません。
否定しあい、自身の正当性を主張している限り、
違う国同士の戦いと同じです。
あなたとパートナーが出会った時を思い出してみましょう。
相手は、どんな世界を持っているのか、
どうやったら、相手に興味を持ってもらえるか、
相手と自分とが、共有できる世界はなんだろう、
そして相手と、一緒にいたい、繋がりをもちたい――!
心の底から、願いが叶うことを求めましたよね。
そういった最初の気持ちを思い出してください。
ふたりができる唯一のことは、
自分の気持ちや考えを、
互いに、相手にしっかり届けること。
そうすれば、ふたりのあいだに、
文化の違いが見えてくる。
相手の文化は、自分にとっては異物。
もちろん「違いがある」を認めるのは、
たやすいことではありません。
子どものように一方的にキレたり、
短絡的に白黒つけたりせず、
あるいは、どちらかが我慢して
合わせるものでもありません。
ふたりのあいだで、お互いの文化が、どういうものか、
まずはひたすら眺め続ける――。
その過程では、辛さ、苦しさなどを伴いますが、
その分、
「違いを抱えている私たち」という
私たち体験(共有体験)が生まれるはずです。
そして、その過程をへていくと、
これまでは食い違い、ぶつかり合っていた
様々な考え方や生活習慣等に対して、
――例えば、食事時のテレビをどうするか、
子どもの教育に夫婦でどう関わるかなど、
「◯◯家では、こういう習慣があったのね」、
「△△家では、こういう考え方をするんだ」、
「では、私たちは、どういうふうにしていこうか」
と、異文化交流が始まる。
すると、「私たち体験」は
べき論や良い悪いの二択を越え、
「私たちという新たな文化」へ変容し、
ふたりのあいだに愛の循環が生まれると思うのです。
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