こんにちは。臨床心理士として20年、
「幸せな結婚・夫婦・家族カウンセリング」の
谷地森久美子です。
さて今回は、家庭にひそむ
「モラルハラスメント」。
実は、こんなことも、あんなことも、
モラハラに該当するんです!
長年モラハラに耐えている方が、
無理に生活を変えることなく、
自身のこころを快復させるコツを考えていきます。
ここでひとことだけ先に
お伝えしますね。
今、40代でも50代でも
60代でも遅くはありません、なんとかしたい――
そう思った時が幸せへの第一歩です!
それでは、はじめていきましょう。
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「これまでの結婚生活30年で、何かがおかしいと、
ずっと、ずっと思ってました!
やっとわかりました、これが原因だったのです!」
モラルハラスメントの本が翻訳され、
「モラハラ」という言葉が日本にも
広がり始めた頃、
当時、勤務していた精神科クリニックでの話です。
50代後半の女性が、新聞の切り抜きを手に、
怒りと悲しみでからだを震わせながら、こう叫びました。
すでに月日はたっていますが、私は
今でも鮮明に覚えています。
夫婦・カップルというものは、
想像以上に傷のつけあいが起きる。
本来、それらは、安全基地であってほしいのですが、
良くも悪くも、閉じた世界・空間のため、
不法地帯になりやすいです。
パートナーから、不愉快な言動や態度をされたとき、
その始まりは、
「たまたま機嫌が悪かったから」
「とるにたらないケンカのひとつにちがいない」と、
流そうとするかもしれません。
しかし日々、その状況が積み重なっていったとしたら、
当然、ある時、限界に達し耐えられなくなるもの。
これこそ、家庭にひそむモラハラです。
モラハラ=モラルハラスメントとは、
精神的な嫌がらせ、精神的暴力のことです。
今回は、家庭内・パートナー間のモラハラに
限定して考えます。
精神的DVと家庭内モラハラの定義は
厳密には異なる部分もありますが、
夫婦・カップル間において、両者は入り混じりながら起こる
ことがほとんどのため、ここでは区別しないで進めていきます。
暴力というと、身体的な暴力、
つまり、ぼこぼこにするような映像が浮かぶでしょうか。
しかしモラルハラスメントは、
個人を個人として認めない「人格否定」
という暴力。
特に、家庭内のモラハラは、
身体的暴力でケガを負うような
目にみえるカタチにならないため、
被害を受けている側も実感を持ちにくい
「見えない暴力」になるのです。
例えば、次にあげることをパートナーから
毎日毎日、何年も年十年もされ続けたとしたら、
どうなるでしょうか。
*振る舞い、行動:
急に不機嫌になる。いちいち不満を言う。無視する。
外では決してしないような、おごり高ぶった態度をする。
ダメ出しをする。馬鹿にする。さげすむような態度をする。
「どうしたの?」といった声すらかけられないほどの
緊張感を漂わせる。
時に脅すような態度をする。
逆らうと、車で乱暴な運転をし、わざと急ブレーキをかけて、
同乗者をケガさせるような、危険で挑発的な行為をする。
*口調:「ばかじゃねえの?!」、「役立たず」、
「不細工」など、口ぎたない言葉をつかう。
あるいは、罵倒していなくても、何かにつけて、
「じゃあ離婚だ」「〇〇失格」と、言われた側が
身動きが取れなくなる否定的な表現をし続ける。
*自分ルール:一方的なルールでしばる、責める。
パートナーの行動や携帯をいちいちチェックしたり、
行動を監視したりする。
生活費などの経済面、人間関係、
個人の楽しみに至るまで、制限を加えてくる。
態度・口調・ルールいずれにしても、
激しいやり方だけなく、人によっては、
一見静かでありながら陰湿にじわじわと、
逃げられないような追いつめ方をしてくる
ハラッサー(モラハラ加害者)もいます。
モラハラは、
「支配的・威圧的」「理不尽」などの
いわゆる否定要素が様々含まれた形で行われますが、
ひとことでいうと、
「パートナーをひととして尊重していない」!
ハラッサーが、
相手を傷つけることを何とも思わないのは、
それが「加害者にとってふつう」だから。
ハラッサーの幼少期をたどると、
否定・虐待的要素が色濃い家庭に
育っていることが珍しくありません。
そのため人格否定の空気・環境などに
慣れすぎて無自覚です。
だからこそ、被害者側にとっては、
こらえきれないことなのです!
(ハラッサーは、仕事をしている時など、外ずらは
とてもいいひとだったり、優秀だったりするため、
周囲に辛さを訴えても理解されづらく、
なお被害者を苦しめます。)
さてここで――。
「もしかしてと思っていたけれど、やっぱりそうか」と、
モラハラ被害を自覚している方へ。
これまでは、なけなしの工夫として、
ふたりのあいだに「問題はない」――、
モラハラが徐々に色濃くなっていっても、
「問題は、大したことではない」――、
そして、
悲しさ、辛さなどを、あえて脇におき、
こころを麻痺させてきたのに、
「もう、この状況には、とどまれない」ことに
気がついてしまったとしたら――。
幸せな未来をつかむために、次のことを
ふまえていきましょう!
モラハラによる人格否定の嵐によって、
傷ついてしまったこころを
癒し、快復(回復)、再生させるための秘訣は
次の3つです。
① 辛ければ、傷の中身を直接みる必要はないこと。
傷のかさぶたは、無理にはがすことはないのです。
(焦って治そうと、無理に直面すること自体、
傷がひろがりダメージが深くなることがあるからです)
② そのかわりに、
どうすれば、今よりも少しでも安心感を持てるか、
信頼できるひとは誰か、安心できる場はどこかを
みつけようと意図してみること。
(すぐに動こうとしなくて大丈夫。
そうしてみようと思ってみることが、
自分を取り戻す試みとなります)
仮に、これが見つけられると、
たとえモラハラの渦中にいても「こころのお守り」、
「こころのシェルター」になる可能性が生まれます。
③ そして、自分はもともと
何に幸せを感じていたのか、
今は、どんなことを楽しいと感じるのか、
そんなことをぼんやりでいいので、
時々、時間をとって、考えてみましょう。
以上は、安心感や希望を得るために
今の生活を無理せず変えずにできる工夫です。
それと共に、これら3つは、
モラハラという暴力により、
侵入され、迫害をうけた
自分のテリトリー(自分という境界)を
再び立て直すこと、
つまりは
「自分を大事にする」に、繋がるのです!
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