こんにちは。臨床心理士として20年、
「幸せな結婚・夫婦・家族カウンセリング」の
谷地森久美子です。
人生のいたるところで遭遇する
「さよなら・別れ(喪失)」。
精神分析の立場では、
フロイトの時代から現代にいたるまで、
喪失による悲しみを自分の中で
抱える意義を説き続けています。
今回は「あいまいな喪失」と、
そのあいまいさの中で、
別れをしみじみと悲しむことについて、
夫婦・カップルの関係を通して考えていきます。
それでは、はじめていきましょう。
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あいまいな喪失――とはどんなものでしょうか。
それには、大きく2つのタイプがあります。
1、「身体的に相手は不在なのに
心理的に存在している喪失の状態」
2、「身体的に相手は存在しているのに
心理的には不在である喪失の状態」
前者は、震災や有事で家族や子どもが行方不明になる、
あるいは、離婚によって一緒に住めなくなり、
家族が現在、生きているのかどうか不確かだけれど、
心理的には、こころの中で生きている喪失。
後者は、家族が認知症や意識混濁状態となる、
あるいは、愛するひとが自分よりもむしろ、
仕事や子どもの教育に関心が向きっぱなしとなり、
心理的に、自分のもとにいない喪失。
さて今回は、夫婦・カップルにおけるあいまいな喪失に
ついて考えていきます。
それは、どんな状況で、
どのように起きるのでしょうか。
☆ ☆
ふたりの出逢いから、恋に落ちて、
結婚~結婚生活に至る、特定の時期、
いわゆるハネムーン期の最中は、
いわゆる「あばたもえくぼ」
「すべて大好き。嫌いなところはない」状態に
なるものですね。
そこから時間の経過の中で、日常的な不満や不信、
裏切りなどが積もっていった場合、
ひそかに見えない形で、関係の土台に亀裂が
広がっていきます、まるで疲労骨折のように。
それが大きな溝にまで深くなっていくと、
とても残念なことですが
心理的(情緒的)離婚のステージへと移行することになる。
それは、あとから、ふりかえると、
「そういえば、あの頃から…」と思い出せるような
ふたりのあいだに醸し出される、
ぎこちない空気感や気配といったもの。
愛や親密性が遠のく兆候を、
まるで「無い」かのように放っておくほど、
何らかの出来事をきっかけに
次のような感情や反応が湧きだし、
こころに影を落としていきます。
それは、
「どういうこと?!信じていたのに」といった
幻滅、失望、怒り、ショックや、
「あの頃のふたりには、もう戻れない…」といった、
疎外感、不安感、などなど。
その状況にさらされ続けると、逆に慣れていき、
何も感じなくなっていく方も
いるかもしれません。
それは、自分自身がこれ以上、疲弊しきらないように、
あるいは、状況に翻弄されないようにするために、
感覚を麻痺させたり、遮断したりする、
こころの工夫でもあります。
この時、関係修復にむけてのカギは、
ふたりのあいだに生じている
しっくりいかなさを、
どれだけ言語化できるか、です。
微妙な状況をあえて言葉にして、
相手に伝えることは、
怖いし、エネルギーもいる。
一時的に、ふたりが葛藤状態に入り込む
リスクもある。
でも、それはとても大事なことですので、
ぜひ、勇気を持って試みてください!
つまり言葉化することで、うまくいっていない現実を
ふたりのあいだに出していく――。
そして「良い関係が失われつつあること」に
ふたりで直面する。でも、そうできたほうが、
「この関係を失いたくない!」
「やっぱり、かけがえのない存在だ」
という、内に秘めた熱い気持ちをあらためて実感し、
関係の修復・回復の可能性が生まれるのです!
(ただし一度の試みで、
なんとかできるものではないことを
強調しておきますね。
納得できる着地点がみつかるまでは、面倒でも、
あきらめず地道に何度も何日も何か月も、
対話を重ねることが肝心です)
逆に、波風たてると関係が悪化するのでは…と
不安が先立ち、関係における違和感を、
「大したことではない」
「夫婦なんて、ふつう、こんなもんだよ」と
軽く取り扱ってしまうほうが、
問題を先送りすることに繋がります!
(加えて、このふたりの在り方が、
子どものモデルとなり、
子どもは、「夫婦や家族なんて、こんなもの」だと
学習します。
お子さんのおられるカップルは、この点を
忘れないでいただきたいです!)
パートナー間の愛情が、かすんでいく過程で、
女性側は、子どもの教育やお受験などに
エネルギーを注ぎ、
男性側は仕事やお酒、外の異性に
関心を注いでいくようなやり方は、
夫婦・カップルのあいだに
別の存在をを入れて、
ふたりのうまくいっていなさを
「三角関係」に変えながら、
見ないで済ませる、ごまかしです。
それは、かりそめの、いつバランスが崩れるか
あやうい夫婦の適応の仕方であり、
同時に
結婚/夫婦という「カタチ」、
子どもの両親という「役割」は維持しつつも、
親密性、愛や官能といった要素で成り立っている
「女と男という関係性」は、
まさに、あいまいに、失われつつある
状態ととらえることができるでしょう。
特に「子ども成長や自立」のために
何年も、何十年も、冷え切った関係を続け、
それは「いたしかたないこと」と耐え忍び、
関係をあきらめているカップルも
実際のところ、少なくありません。
しかし、ある時期まで、その関係を放置できても
子どもが巣立つ頃になると、そうもいかなくなりますね。
結婚当初「えくぼ」に見えていた
相手の性格、言動がことごとく「あばた」に反転。
この先、20年、30年を想像すると、
耐えがたくなる現実に直面します。
最近は死語になりつつある、
熟年離婚は、まさにその典型といえるでしょう。
現実に直面することを避けてきたカップルは、
先送りした分、問題は年月と共に、
山積みの宿題となる。
そして生活の中での、
思いやりや尊敬の要素を大切にした
関わり合いを、互いに学ばないでいると、
対話を深めるスキルや、共同(協働)感覚、
ちょっとした葛藤に耐えうるような、
そもそもの関係の土台が、構築されないまま
時は過ぎていきます。
そうすると、
ふたりのあいだに波風がたったり、
関係に未知の不安定さが伴ったりすると、
それらひとつひとつが、
互いにとって脅威となっていきます。
そのため、問題や葛藤に取り組む以前に
その脅威自体に、ふたりが耐えられず、
関係の修復どころか、
これらの過程を経験として学ぶことなく、
安易に離婚の選択を選ぶカップルが
珍しくありません。
(つまり、結婚生活が人生経験にならず、
再婚しても、また同じ繰り返しをしてしまう
パターンにハマります)
ここまで話が展開してしまった場合、
個人の力を越えているため、
これ以上、頑張ろうとせず観念して、
カップルでカウンセリングを活用することを
おすすめします。
夫婦というプライベートな関係に、
なぜカウンセラーを入れるのかと
違和感を覚える方もおられるかもしれません。
しかし何十年も放置した問題は、重篤な慢性症状のように
しぶとく、一筋縄ではいかないのです。
この時、専門家という存在は、問題自体や、
こじれたふたりを抱える「器」となります。
その器の中で、ようやく、
ふたりは一緒に問題を見つめることが可能となり、
関係修復のスタートラインに立てるのです!
もしあなたが、このような状況に陥っていたなら、
辛く苦しいけれど、
まずは、「今、関係を失いつつある…」と、
しっかりと気づきを向けること。
それは、こころが引き裂かれる痛みを
伴いますね。でも、
フロイトを始めとする精神分析では、
大事な対象を失うことは、
その喪失にしっかり向き合えれば、
つまり、「別れを悲しむこと」は、
決して、否定的な経験ではなく、
むしろ、意味あるものと成りうる、と
とらえています。
しみじみと悲しめることは、
人生の機微に触れる道でもあり、そのことは
私たちの在り方に、
繊細で豊かな深みをもたらしてくれるのです!
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