こんにちは。臨床心理士として20年、
「幸せな結婚・夫婦・家族カウンセリング」の
谷地森久美子です。
カウンセリングを、人生の節目節目に、
さらに幸せになるために活用くださる方が最近、
徐々に増えている印象があります。
新しい出会い、そして再会があれば、
同時に「別れ」もあるのが人生。
その別れによって大事な相手や何かを失う…。
とても辛いですよね。
この過程を精神分析では
「対象喪失」と呼んでいます。
今回は、その中でも「あいまいな喪失」について
考えていきます。
これは、みなさんにとって馴染がない言葉かもしれませんが、
誰もが体験している、
「日常の中のささやかな“さよなら”」のことです。
それでは、はじめていきましょう。
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ある日、突然、大事なひとが行方不明になった…。
会えないため、生きているのか、亡くなっているかはっきりしないし、
気持ちのおさめどころがわからない。
もしくは、身近な家族が事故に遭い、脳に後遺症が残る。
もちろん相手は、目の前にはいるけれど、
なんだか違う…。
私が知っているのは、この人じゃない。
このような「いる」と「いない」のあいだを
不明確なまま行き来する独特な喪失を
ポーリン・ボス(以下、P.ボスと略)は、
「あいまいな喪失」と名付けました。
そして、あいまいゆえに、私たちのこころに
密かに、そしていつの間にか根深いダメージを与えることを
ボスは自身の体験からも明らかにしました。
今回は、この「あいまいな喪失」について、詳しく
考えていきましょう!
1)あいまいな喪失には、2タイプある:
① 身体的不在/心理的存在=「さよならのない別れ」
身体的・物理的には、相手不在の状態なのに、
心理的には存在している喪失の状態。
具体的には、自然災害や何らかの出来事で
大切なひとが行方不明になってしまった状況など。
ダメージの程度は大きく異なりますが、
子ども時代、ほのかな恋愛感情を抱いていた異性が、
夏休みなどの長期休暇中に、家の都合で突然転校。
あいさつなしで、離れ離れになり、
時の流れとともに、想い出だけが残っていく状況も
これに該当します。
② 身体的存在/心理的不在=「別れのないさよなら」
生身の身体はあるのに、心理的に相手を喪失している状態。
具体的には、認知症の進行によって、
自分が知っている“この人”ではなくなった――、
愛し合って結婚したのに、いつのまにか、
仕事や子ども中心の生活となり、
互いのあいだに愛が見えなくなっていく――、
離婚ではないけれど長期間、不仲で別居を続けている――。
などなど、これらは「あいまいな喪失状態」にあるのです。
2)「あいまいな喪失」は、
私たちにどんなダメージを与えるか:
上にあげた2タイプに共通することは、
在る無し(存在/不在)に関する、
あいまい性です。
例えば、お葬式は、
医療的・法的根拠をもとにした社会的な「儀式」。
遺族の方にとっては、辛いけれども、
お葬式をとりおこなうことは
故人への思いを少しずつ手放していく
準備となっていくのです。
しかし、あいまいな喪失は、
今、失いかけている体験が、
「一過性」なのか、「決定的なもの」なのか、
あいまいゆえに、
白黒つけたくないし、できないことが多い…。
誰でもわかる明らかな喪失と違って、
絶望しきれず、底落ちできないために、
ひそやかに死を受容してく
大事な「悲哀の段階」に一歩進むことができません。
「また会えるかも」
「あの愛をもう一度」などど、
わずかな希望にすがりつつ、同時に
思うように進展しない状況に
「(本当は辛いのだけれど)
お願い、もっと明らかになってほしい」と願ったり、
相手が亡くなることを一瞬頭の中でよぎらせ、
「何を考えている!こんなことを思ってしまうなんて」と
次の瞬間、自分を否定し罪悪感を募らせていく――。
あるいは、喪失に直面しないための、こころの工夫として、
その喪失が起こる前の関係や形を維持しようと
フリーズ(凍結)させてしまう。
(あたかも何事もなかったかのように)
たとえば、一員のどなたかが行方不明となった家族の、
家の中に入ってみると、いなくなった時から
「時が止まっている」ようになっている…。
これも凍結現象のひとつです。
これら、あいまいな喪失は、
どちらのタイプであっても、
見えない中で、じわじわと確実に、
身動きとれない複雑なストレス状況へと、
私たちを引きずり込んでいくのです。
3)喪失を糧にするために必要なこと:
普段の生活ではあまり意識しませんが、
あらためて眺めると、人生の其処此処に、
あいまいな喪失は、存在しているのです。
「喪失」は、一般的に否定的なイメージがあり、
その状況に対して、なんとかふんばりつつ
前向きに乗り越えていくのが望ましい、とされがちですが、
本当に、そうでしょうか?
大事な相手・対象を失うことは、
なんといっても「悲しい」のです!
まずは、「私は、辛いし悲しいのだ」と感じ、
悲しむことを自分に許すこと。
とことん、納得ゆくまで悲しむこと。
あなたは、その相手を愛していたのだから。
もし、あなたが、こころゆくまで、
悲しめないとしたら――、
あなたは、こころのどこかに
悔恨の情(後悔や残念な気持ち)や
恨みの気持ちを抱いているのかもしれません。
悲しみたいのに、悲しめないひとは、
誰かにそばにいてもらって、
そのひとの前で、思いっきり、
悲しみを表現することが必要です!
なぜなら、悲しみというものは、
外に出さず、こころのうちに抱えてしまうと、
その想いは、悔やみとなり、あなたの中で、
どんどん募っていってしまうからです。
大事なひととの悲しみや辛さは、
それを分かち合う相手がいて初めて、
解放され、癒されるものなのです。
「あいまいな喪失」に関して、次回さらに
夫婦・カップルの例をあげて、考えていきます。
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