こんにちは。相談件数4万件、
「幸せな恋愛・結婚カウンセリング」、
臨床心理士の谷地森久美子です。
今回は、婚活や結婚生活がうまくいかず、
生き辛さを感じている方の背景に
「愛という名の虐待」が関係しているかもしれない、
というお話です。
家の方針、親の考え、しつけのもとにあるため、
ご本人も周囲も認識しにくいのが特徴です。
それでは、はじめていきましょう。
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自信が全くないわけではないけれど、
心から「自分は、これでいい」と思えない――。
職場での関係は、うまくいくのに
パートナーとは、なぜか、しっくりいかない――。
婚活がうまくいかないのは、
自分に原因があるのかと責めてしまう――。
こういう方は、先にあげたテーマ、
「愛という名の虐待」が関係しているのかもしれません。
「虐待?!自分の家はそんなんじゃない」と
思われる方も多いでしょう。
しかし、育ってきている家庭の文化・価値観は、
空気のように自分に馴染んで、気づくことができません。
子ども時代、頑張り屋のいい子だった方ほど、
辛い状況も当たり前と思い、
親の要求に応えようと、奮起してきたと思うからです。
そして「虐待」は、言葉のイメージが先行し、
暗黙のうちに、
「うちの家族に限ってあるわけない、
あってはいけない」という考えが働き、
なかなか、ご本人も周りの家族も
認めることができません。
特に激しい暴力や暴言ではない、
「愛という名の虐待」は、なおのことです。
さて、ここから、愛という名の虐待とは、
どんなものか、考えていきましょう!
1) 愛という名の虐待は、親が子どもへ
「理想の押し付け」をすることから始まる:
親は、生まれてきた子どもに、
こういう子になってほしい、と願います。
しかし、子どもに「幸せになってほしい」という
思いや気持ちが強くなりすぎると、
それらは、「期待」に“変質”します。
最初は、素朴な「幸せになってほしい」だったものが
変質すると、どうなるか。
それは「過度な期待=親の欲求の押し付け」になります!
変質して、そして押し付けになっていくと、暗黙のうちに、
親自身も無自覚に、
子どもをコントロール(支配)し続けることになります。
これは、別名、「過干渉」とも言われるものです。
愛情は、ありあまるほどあっていい。
ただ、支配・コントロールが、諸悪の根源なのです。
素朴な期待から、支配・コントロールへの変質は
次のような親の言葉や気持ちから見えてきます。
「あなたのことを思って、こう言っているのよ!」
「親の言うことを聞いていれば、あなたたちは幸せになるの!」
「とにかく言うことを聞きなさい!従いなさい!」
もちろん、親として子どもを諭すことが
必要な場面や状況もあるでしょう。
しかし、「子どもの気持ちを無視」して、
こうするのがいいのだ、こうするべき、が多い場合、
それは「支配・コントロールへの変質」であり、
「過度な理想・期待の押し付け」です。
そして、子どもの側に立てば、
いつも親から、口うるさく、小言を言われ続け――、
親からは、褒められることよりも、
否定や間違いがないかの正しさをいつも重視される――、
つまり、子どもなりにどんなに頑張っても、
親から認められない(承認されない)体験となります。
子どもにとっては、
自分は、不充分で、不完全な存在だ、
自分は、そのままでは(ありのままの自分では)
親から認められないのだ、
と認識していきます。
この体験が、のちに大人になってから、
生き辛さにつながります。
婚活、そして現代では就活においても、
思う通りにいかないと、自分自身が、
異性や社会から「否定された」感じがして
ひどく落胆し、婚活・就活を断念してしまったり――、
パートナーとの関係で、ついつい相手を非難し続け、
つまりは、親からされたことを、
今度は自分がしてしまったり――。
(これを「世代間連鎖」と言います)
そして、自ら、
生き辛さをつくってしまうことになるのです。
2) 愛という名の
「二重拘束(ダブル・バインド)」:
愛という名で覆われているために、この虐待は、
認識しにくく、見えません。
目にみえない形で、そして、見えない心の奥を、
少しずつ少しずつ侵食し、微細な傷をつけていきます。
愛という名の虐待は、
高い理想を求める「(良い)親」と、
聞き分けのよい「(いい)子」の
組み合わせで起きるため、
第三者から眺めると、
「意識の高い家庭」、
「順調に成果をあげている子ども」などに
見えることが多々あります。
そのため虐待している側も、されている側も、
そして周囲も気付かず、
傷つきがひそかに進行しながら、
子ども時代が過ぎていきます。
そして、ダブル・バインドとは、
「二つの異なったメッセージが
同時にやりとりされる状況」です。
(例1)
例えば親が、子どもに、あーだ、こーだと
しつこく関わっておきながら、
「でも、最後は、あなたが自分で考えるのよ」と
ぴしゃっと、突き放したり、
逆に、自分で考えるように指図しておきながら、
子どもが自分で決めたあとに、不満げに
「どうして、これにするわけ?!
これはダメ。あれは、間違っている」と、
親の意見を押し付ける――。
(例2)
親が「努力しないと認めない・価値はない」と
いう態度を示して、それに対して、
子どもが頑張って何等かの成果をあげても、
「ちょっとくらい良い成績を出したからって、
つけあがらないで! 上には上がいるのよ」と
さらに高い理想や完璧さを、子どもに求めていく――。
この状況の特徴としては、次の通りです。
① 二重のメッセージによって、その状況に置かれた側が、
どうしてよいか、「混乱する」。
② そして特に子どもの場合、
その状況から「逃れられなくなる」。
③ その状況に置かれ続けることで、子ども本人は
その「色メガネ=世界観で人生を眺める」ようになる。
(だから、当然、自信もつかなくなり、
人生や人間関係に対して、安心感がもてなくなる)
いかがでしたか。
いわゆる、暴力的な虐待とは異なり、
親の価値観や、その家の方針という表現で、
くくられてしまう質もあるため、
よく見ていかないと、本当に、自覚するのが難しい。
みなさんの中で、「生き辛い」
「自分がこれで良いと思えない」という方は、
その実感をもとに、もう一度、ご自身が歩んできた
過程(プロセス)・家庭環境を振り返ってみるとよいでしょう。
次回は、「愛という名の虐待」の、もう一つの特徴と、
生き辛さをどう克服するかを考えていきます。
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