Do you love me ? (本当に愛してる?)~「愛という名の虐待」と生き辛さの関係2

こんにちは。相談件数4万件、
「幸せな恋愛・結婚カウンセリング」、
臨床心理士の谷地森久美子です。

前回の記事「愛という名の虐待」は、
大きな反響をいただきました。

ありがとうございます! 

生き辛さは、人生に真摯に向かう人ほど、
感じるのかもしれません。

でも、できれば少しでも
自分らしく生きたいものですね。

さて今回は「愛という名の虐待」の、
もうひとつの特徴――

「感情の搾取」について考えていきます。

それでは、はじめていきましょう。

******************************************       
          
現在、親であるあなた、
かつて子どもだったあなた、
    
次にあげること…、
心あたりがあるかもしれません。
     
    
「愛という名の虐待」は、
     
親が、愛情という名のもとに、
子どもを支配し力を奪うこと。
     
     
親は善かれと思い、我が子へ期待や願いを、
向けがちですが、それが過度になると、
      
子どもの心に大きなダメージを与えてしまうのです!
  
      
親の欲望にコントロールされた子どもは、
      
ワクワクした気持ちや、
弾けるような躍動感、笑顔などを
次第に失っていきます。
      
そして、自己嫌悪や自己批判が付きまとい、
自分に自信が持てなくなります。
     
本来、安心し、くつろげるはずの家庭も、
心の拠り所では、なくなってしまいます。
     
       
つまり親の支配によって、
子どもの尊厳が脅かされるため
      
「虐待」に相当するのです。
       
      
この虐待の特徴として、前回の記事で、
      
「二重拘束(ダブル・バインド)」に
ついて紹介しました。
      
       
そして今回は、    
「ミスティフィケーション」に
ついて、考えていきます。   
  参考文献:Laing, R. D.
Mystification, Confusion and Conflict(1965)
          
     
これは、子どものためだと装いながら、
          
“子どもの気持ちや感情を、巧妙に、そしてある意味、
不当な形でしぼりとるような、親の関わり方“を指します。
         
そして子どもから奪った分、
親は、何かしら「得」をすることになるのです。
       
       
例えば、子どもの将来に対し、まるで洗脳するように、
       
「お父さんとお母さんの子どもだもん、
もちろん、医学部に行って医者になるよね~」と、
         
親の希望・欲望を、家庭内の雰囲気として漂わせ、
暗黙のうちに、レールをひく――。
           
この時、子どものほうは、まだまだ幼く自分の中に、
確固たる考えや希望がないため、
      
親の敷いたレールが、自分の夢や目標だと
いつの間にか、取り込んでしまうもの。
     
   
もちろん、子どもの将来や、人生の目標を
親が一緒に夢見ることは、悪いことではありません。
     
      
しかし、子ども自身に、
親からの「やらされ感」がある場合、
       
子どもは、人格や意思を持つ存在ではなく
親にとっての「素晴らしい作品」になっていきます。
       
    
これは、子どもを利用して、親のほうが、
自分の欲求・欲望を、達成させる関わり方です。
      
      
もう少し日常的な例で言えば、
     
野球好きの父親が、
       
「お父さんは子どもの頃、野球をやっていたんだ。
〇〇くんも、もちろんやるよね」と誘いかけ、
       
無理やり、レベルの高いクラブチームに入れたり、
        
       
「〇〇ちゃんは、こんなマンガ、見ないよね」と
         
子どもの希望は無視して、親の価値観を
刷り込んでいく、などがあげられます。
       
        
子どもは純粋なので、
親の期待に応えて、それに親が喜ぶと、
「自分が認められた」と、受け取ります。
   
そして、「また認められたい」と、
   
さらに、親の意向に合わせ続ける方向に
すすんでいってしまいます。
        
              
この「ミスティフィケーション」、そして、
前回紹介した「二重拘束(ダブル・バインド)」。
         
         
これら2つは、みなさんも、多少は、
心あたりがあるのではないでしょうか。
       
つまり、世の中の、多くの家庭・親子関係で、
    
日常的に見え隠れする、
親から子への関わり方なのです。
            
      
しかし、それが過度に、
そして日常的になっていくと、
           
子どもは、親の「手足・モノ化」されていく――。
   
つまり、自分の外側にある、親が掲げた理想に
自分自身を型にはめ、それゆえに、
  
自分の頭で考え判断していく「主体性」を
失います。大人になっても、です。
       
自分自身は何をしたいか、生きる意味や目標を
見いだせず、心はいつまでも空虚のまま。
      
      
同時に、幼いころからの習慣として、
より高い理想や、
親が求めたような完璧な世界を目指すため、
      
どんなに努力しても、自分は常に
「足りない」、「不充分・不完全な存在」。
       
       
幼少期に、親の期待に沿い、結果を出せば、
認められましたが、
        
それは、無条件の愛ではなかった。
        
そのため、大人になっても、
        
自分は、このままで、あるいは、これで
OKなのだという、
「自尊心・自己肯定感」が持てなくなる。
        
   
このように、
無条件の愛を受けたことがない経験は、
大人になっても影を落とします。
      
たとえ、社会的な成功をおさめても、
常に「足りない部分」に目が行く。
   
     
「まだダメだ、上には上がいるのだ」と、
自分で自分のお尻を叩き、責め続ける。
       
子どもの頃から現在までの何十年ものあいだ、
自分で自分を認められない――。
      
   
これが現在の、生き辛さの大本だとしたら…、
   
これ以上、自分を酷使するのは辛すぎます!!
   
    
上にあげた、親の関わり方には、
愛がないわけでは、ありません。
     
だから、問題が複雑に、
そして見えにくくなるのです。
         
親の思いが強すぎるため、親本人でさえ、
無自覚に、愛が「支配」へと変質し、
      
最初に愛だったはずの要素が、
受け手(子ども)にとっても、
次第に苦しみに変わる――。
            
       
一見、教育熱心で、意識が高い親であるため、
        
子どものほうも、親から、
「よくしてもらった」と思わざるを得ない。
      
よくしてもらったはずなのに、でも、生きづらい。
     
     
このような子ども時代を過ごした人が
大人になって、
        
親を否定するような雰囲気を少しでも醸し出すと、
  
逆に、周囲から、
   
   
「良い親御さんなのに、何を言っているの?!」
「大学まで出してもらったのに、贅沢を言って!」
「いい歳して、感謝が足りない」
「親の身になったことがないから、
 そんなことが言えるのよ」
「そろそろ、本当の意味で大人になったら?」
          
         
などなど、反応されるし、そう言われる前から、
そんなことは、わかっている――。
     
     
以上のような、これまで沈黙を守ってきた、
生き辛さを抱えた大人が、
       
ここ最近、増えてきていると思うのです。
      
そして、この生き辛さが、
       
婚活の時も、結婚生活でも影を落とし、
      
私たちを苦しめるのです。
       
           
次回は、親から、愛という強烈なコントロールを
受け続け、生き延びてきた大人が、
       
この「生き辛さ」と、どう折り合うか、
癒しのヒントを考えていきます。
         
詳しくは、また次回に…。(つづく)   

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